Willy Ronisの写真集。 

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梅田のジュンク堂に行く人ならわかると思いますが、たまに写真集が超ディスカウントされていることがあります。今日はSundays by the Riverというモノクロ写真集を買ってきました。不勉強なことにWilly Ronisという写真家を知らなかったのですが、なんせ安かったもんですから。キャパやカルティエ=ブレッソンとほぼ同時代の人のようです。

ドアノーの作風に似ていると聞きましたが、この写真集はパリを題材にしていることもあるのか、何となくカルティエ=ブレッソンの作風に似ている気がします。カルティエ=ブレッソンより雰囲気が少し明るく、あまり嫌味を感じません。ライカを触りながらページをめくっていると、これは久しぶりにいい買い物をした、という気がじわじわと湧いてきました。

『女子』からはどう思われたんだろうか。 

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梅佳代の『男子』。もう手にした人も多いでしょう。

何といっても巻末に載っているコメントか凄い。

男子のメンバーに許可をもらいに大阪に行きました。
5年ぶりに会いました。
きっと ちん毛 もボーボーやなーと思ってきんちょうしました。


どうやらこの人(梅佳代)は、相手が奥底に持っているものをポンと引き出してしまえるようです。ここに載っている男子たちの同級生の女の子からしたら、「この女、許せん」かもしれません。

撮らされているようで、主導権はあくまでも梅佳代嬢にあります。並大抵の覚悟では撮れない写真です。

つい買ってしまった。 

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飲み会の帰り、梅田ジュンク堂で川内倫子さんの写真集を買うつもりが、なぜかうめ版を手にしていた。困ったもんだ。

写真集というよりはフツーの本である。サイズが手ごろで手に取りやすい。レジでカバーをつけるかどうか尋ねられる程度の大きさだ。普通の写真集だとこうはいかない(大きいから)。カバンに無造作に放り込んでおける、電車内でも気軽に読める、職場で女性に見せると笑ってもらえる、価格が比較的安い、などなど。

お気楽極楽写真集に見えるが、こういう写真はそうそう撮れるもんじゃない。ズームとAFの力でコソコソ撮ろうとしてもダメで、やはり自分の足で歩いて、寄って、大阪のおばちゃん的なずうずうしさも少し発揮しながらでないとモノにできんと思う。

ああ、撮りにいきたい。なのにドシャ降り続きである。

大切な人、大切な家族。 

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久しぶりに写真集の紹介を。

形はどうあれ写真に取り組む人なら、アラーキー(荒木 経惟)の名前とともにこの写真集〜センチメンタルな旅・冬の旅〜の存在は知っていると思う。けれど、この写真集をちゃんと見たことのある人はどれぐらいいるだろうか。カメラ雑誌などで氏の写真や言動に馴染めないものを感じたら、書店で見かけても手に取ることすらないかもしれない。現にぼくもそうだった。

梅田のジュンク堂でこの写真集を手にしたのは3、4年前だったと思う。どちらかというと苦手だったアラーキーの写真集をなぜ手にしたのか、今となっては思い出せない。まあ精神的にいろいろとあったのかもしれない。

パラパラとページをめくると、アサヒカメラの特集とかで見た覚えのある写真が載っていた。猥雑な空気感とヌード。正直なところ、あまりぼくの好みではない。ああやっぱりこういう雰囲気か、とそのまま書架に戻そうとしたが、どうせなら最後まで見てみようと先へ読み進めた。そしてあるページまで進んだとき、手が止まった。

それは、亡くなる直前の奥様の手をアラーキーが握っている写真だった。

どのような場面であるかが瞬時にわかる。見るだけでも辛い。しかし、書き添えられたテキストが追い討ちをかけてくる。命の炎が消え入ろうとする人が、死にたくない、別れたくないというようにイヤイヤと首を振ったというのだ。

ぼくはショックで動けなくなった。

もしこのテキストが、あの世で待ってますとか天国でも一緒にとか、ある種ドラマっぽいセリフであったなら、さほど引っかからずにスーッと頭の中を通り抜けたに違いない。しかしそうではなかった。とてつもなく苦い薬を、何の前触れもなくオブラートにも包まずに口の中へ直接放り込まれたのだ。しかも吐き出すことができない。じゅうぶんな水があるのなら飲み込むことができたかもしれないが、この写真集はその水さえない。いや、実際にはちゃんと水が置かれていたのだが、しばらく時間を置かないとそのことには気がつかなかった。

強烈なめまいを覚えた。まずい。このままでは倒れてしまう。ページを閉じて書架に戻そうとしたが、意に反して手がページをめくる。さらには目をそらすなとばかり、前に戻って再びあのページをめくる。

涙があふれてきた。このまま本を開いていては涙でページを汚してしまいそうだ。しかも、いい歳したオッサンが立ち読みをしながら泣いているなんてあまりにも格好が悪いし不気味である。どうにか本を書架へ戻し、人気の少ない学習参考書コーナーへ移動して気を落ち着けた。

再び写真集の書架に戻るまで、一時間以上は経っていたと思う。

レジに向かったときは、晴れ晴れとした気分と憂鬱な気分が入り混じったような、それまで味わったことのない不思議な気持ちだった。なぜか家族の顔ばかりが頭の中に浮かぶ。なぜだろう。まあいいか。今日は何かお土産を買って帰ろう、この時間なら子どもが寝る前に家につくはずだし、嫁さんも喜ぶだろな――手荷物が少し増えたぼくは、湿っぽい地下街を足早に通り抜けて地下鉄への階段を下りていった。